国立療養所多磨全生園の入所者の方々は、望郷の念にかられながら故郷の山河、家族への思いを託して園内の緑化活動を行ってきました。252種、3万本とも言われている園内の緑は、その殆どが入所者の人々が思いを込めて植えてきたものであり、これらの木々の生長は全生園の歴史と重なり合っています。これらのハンセン病の歴史と共にある緑や、世界で初めてのハンセン病資料館、共同生活を営んできた寮などの歴史的建造物の保全、これら全てを後世に残すため、ハンセン病記念公園「人権の森」構想として入所者の方々が実現に向けて取り組んでいます。
平成15年には入所者の懸命な努力により男性独身寮であった「山吹舎」が多くの人の募金によって復元されています。東村山市は、この構想に賛同し協力を行っています。
多磨全生園が100周年を迎えた平成21年には豊かな緑と人権の歴史を長く後世に伝えるため、「いのちとこころの人権の森宣言」を行いました。
かつてハンセン病は、不治の伝染病とされ、患者は国の強制隔離政策と人々の偏見や差別の中で、長く苦しい歴史を歩んできた。
ここ多磨全生園には、故郷を捨てさせられた人々が眠る納骨堂、終生隔離のなかで故郷を偲んだ望郷の丘、苦難の歴史を語り継ぐハンセン病資料館、これらとともに多くの想いがある。
この地を第二の故郷とした人々は、萎えた手足に力を込め、病をおして拓いた土地に、一人一人が想いを込め、一本一本植樹し緑を育てた。
いま、その緑の地は、そこに暮らす人々と東村山市民との百年の交流をとおし、いのちとこころの人権の学びの場となった。
私たち東村山市民は、こころをひとつにし、ここに眠る人々を鎮魂し、この土地と緑と歴史のすべてを『人権の森』として守り、国民共有の財産として未来に受け継ぐことを宣言する。
平成21年9月28日 東京都 東村山市
古代漢字の森をデザインし、人の形を浮かび上がらせたシンボルマークは、多磨全生園の森に宿る二つの記憶を表しています。
ひとつは、「人を内外に分ける森」。 壁のような柊の垣根に囲まれていたかつての多磨全生園です。もうひとつは、「人を抱き、まもる森」。
多磨全生園に住まう人々が故郷への想いを込め、一本いっぽん植樹し育てたゆたかな森です。
多磨全生園がたどってきた人と森の関係を、より多くの人に語り継ぎ、人権の大切さをひろめていく、
そのきっかけとなることがシンボルマークの役割です。
「人を内外に分ける森」《怒哀・憎》 いのち、癒す森。
「人を抱き、まもる森」《喜楽・愛》 いのち、育む森。
本サイトは、多磨全生園入所者自治会および東村山市の「人権の森構想」実現にむけた取り組みを中心に、広報してまいります。
多磨全生園入所者自治会